kaidaten's blog~書評ノート~

日経新聞関連の時事ネタを中心に書評ノートを公開中。小説や実用書、自己啓発本についてもたまにエントリー。

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深夜特急6〜南ヨーロッパ・ロンドン〜

書評

シリーズ最後の一冊。

 

「ワレ到着セズ」の一節は印象的。旅が長くなるにつれ心身磨耗していく筆者であったが、このラストシーンで、旅すること、自由でいることの清々しさを表現している。

 

そしてもう一つ心に残ったのが、旅先で出会った同い年で親になった青年や、過去の芸術家の青年時代の活躍と、現状の自分を照らし合わせ、焦燥感に駆られているシーン。自分自身も特に大学院生の頃、既に社会に出て働いている同期の様子を人づてに聞いたり、画面上のアスリートの姿を見ることで、そのような感情に浸っていたことを思い出した。世界を旅する筆者が、一つの場所で停滞していた自分と同じことを感じていたのだ。

 

結局、旅をしても自分の内面が劇的に変わることはない。日々の営みの中でいくつもの壁を乗り越え、喜怒哀楽を経験し、自己実現を積み重ねる中で少しずつ成熟していくものなのだ。それは旅をしても旅をしなくても変わらない事実だ。

 

ただ、心の中に自分はいつでも自由であること、愛される存在であることを忘れずに留めておくことは、やたらと騒がしい現代を生きる上でとても大切なことなんだと感じた。

 

 

 

内容抜粋

 

とりわけ、最初に出されたシンプルなトマト味のスパゲティは素晴らしかった。少年に訊ねると、「ポモドーロ」というのだと教えてくれた。二番目の皿は、鱈に似た白身の魚をほとんどオリーブ・オイルと香料だけで味つけしたさっぱりしたものだった。テーブルの上に無造作に置いてくれるパンもおいしかった。それでわずか千二百五十リラ、六百円強に過ぎないのだ。こんな小さな店が、こんな何げない店が、こんなにおいしいものを出すのだ。私は喜んで少年にチップをはずみながら、あるいはこれが文化というものかもしれないな、などと柄にもないことを思ったりした。

 

テルミニ駅のバス・ターミナルで降り、深夜のプリンシペ・アメデオ通りを歩いた。コツコツという自分の靴音を聞きながら、このローマで、映画のセットのようなこのローマで、私が単なる通行人以上の役どころを得ていたことに気がついた。私は一人の男を愛した二人の女性と会うことになった。ひとりとはアンカラで、もうひとりとはこのローマで、ひとりに対しては使者として会い、もうひとりに対しては・・・・・・。

もしかしたら、これが私の『ローマの休日』だったのかもしれないなと思った。私のアン王女は六十一歳ではあったけれど。

 

しかし、そのワインを呑みながら、私は複雑な思いを抱いていた。このマルコは、私と同じ歳だというのに、すでに結婚し、子供をもうけ、妻のかわりに子守まで引き受けている。まさに地に足をつけた生活をしている。十五世紀人ミケランジェロは同じ年頃に「ピエタ」を作り上げ、二十世紀人マルコは「ルカ」を育て上げようとしている。「ピエタ」と「ルカ」のあいだには何の関係もなかったが、二人が自分の手の届かない美しいものを生み出し、育んでいることに、ふと、焦燥感のようなものを覚えた。

 

それにしても、と私は思った。死んだ画家は、実に勘の鋭い女性とばかり関わりを持っていたことになる。

 

ただ単に海(※モナコ)の色が美しかったからではない。これほどまで自然が従順に人間に奉仕しているということが、何か許しがたいことのように思えたのだ。

 

私はそこを出ると、近くの公衆電話のボックスに入った。そして、受話器を取り上げると、コインも入れずに、ダイヤルを廻した。

<9273ー80824258ー7308>

それはダイヤル盤についているアルファベットでは、こうなるはずだった。

W、A、R、E、ーT、O、U、C、H、A、K、UーS、E、Z、U。

<ワレ到着セズ>

と。