kaidaten's blog~書評ノート~

日経新聞関連の時事ネタを中心に書評ノートを公開中。小説や実用書、自己啓発本についてもたまにエントリー。

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「火花」という名作

書評

火花

火花

 

2015年上半期の小説部門売り上げでぶっちぎりの一位を獲得した「火花」。お笑い芸人ながら、累計2,000冊以上の書籍を読破してきた読書家「又吉直樹」が執筆する初の純文学小説。

 

プロの作家からの評判もすこぶるよい。そして芥川賞受賞。空前の「火花」ブームが吹き荒れている。以前のエントリーでも紹介したように、又吉を取り上げた文学雑誌のバックナンバーまでもが増刷されている。

 

kaidaten.hatenablog.com

 

 

 

今回は、その「火花」を読んだ感想を書いてみる。

 

”芸人が書いた”というバイアスを抜きにしても、この「火花」という純文学小説の内容は名作に値すると思う。お笑い芸人である主人公の心境や、その時々の情景の描写が斬新・かつ繊細で、読み進めるうちにイメージが頭の中に自然と浮かび上がってくる。そして引き込まれるストーリー。

 

この物語は、決して気持ちのよいものではない。主人公”徳永”と、もう一人のキーマンである先輩芸人の”神谷”はとことん落ちぶれていく。社会的に「陰」となる人たちに焦点を当て、とことん落ちぶらせていく。ほとんど浮かび上がることもなく、ひたすらにもがき、迷走する描写が続く。

 

著者の「又吉直樹」自身が、メディアへの取材を通して、どのような心境でこの小説を書いたのか説明してくれていなければ、私の中には大きなわだかまりというか、虚しさが残っていただろう(それもまた名作であるが所以のものなのかもしれないが)。

 

彼がこの小説を通して伝えたかったこと、それは「敗者の存在意義」と「生きている限り人生にバッドエンドはない」 という物語最期の一節だ。

 

又吉は、ある対談でインタビュアーに対してこんなことを言っている。

 

「芸人として成功した『勝者』がいる一方で、その陰には多くの『敗者』がいる。『敗者』の存在は決して日の目を見ることがない。しかし、その人たちが存在していなければ、『勝者』の笑いの質もそこまで上がらなかっただろう。『敗者』の存在意義はそこにあるはずだ。『敗者』がいることで『勝者』は輝くことができる。『敗者』の努力と研鑽が素晴らしい笑いを世に生み出すことに繋がっている。だから普段スポットが当たることがなかった『敗者』をテーマに小説を書いた。」

 

「敗者」の生き方というものをとことん表現したかったのだ。我々が普段見ることがないテレビや劇場の裏側でどのようなドラマがあるのか、それを又吉直樹は描きたかったのだ。

 

そして、又吉が伝えたかったもう一つの言葉もそれに通じるものがある。-「生きている限り人生にバッドエンドはない」。物語の最期は、絶望的ながらも爽やかに描写されている。

 

これは又吉自身の人生観から来るものだろう。芸人として売れるまで地獄のような生活をしてきた。また地獄のような生活を送っている芸人を数多く見てきた。

 

その時々を切り取って”最期”にしてしまえば、究極の”バッドエンド”となる状況を幾度も経験している。そして、今の自分がある。だから、全ての人において、生きている限りバッドエンドはないのだ。生きている限り、我々は続きを描いていけるのだ。

 

P.S

最後の「常識を覆す漫才」に感動しました。

 

内容抜粋

■上京した神谷を居候させてくれていた女性への感情

何かを決定する権限などないのだけれど、これだけは、認めて欲しい。真樹さんの人生は美しい。あの頃、満身創痍で泥だらけだった僕たちに対して、やっぱり満身創痍で、全力で微笑んでくれた。そんな真樹さんから美しさを剥がせるものは絶対にいない。真樹さんに手を引かれる、あの少年は世界で最も幸せになる。真樹さんの笑顔を一番近くで見続けられるのだから、いいな。本当に羨ましい。七位池に初夏の太陽が反射して、無数の光の粒子が飛び交っていた。神谷さんは、「なんで、池に飛び込んで真樹を笑かさんかったんや」と言うかもしれない。だが、あの風景を台なしにする方法を僕は知らない。誰が何と言おうと、真樹さんの人生は美しい。あの少年は世界で一番幸せになる。その光景を見たのは、神谷さんと僕が、最後に上石上井のアパートへ行ってから、十年以上後になる。

 

■匿名の中傷に対する神谷の捉え方

「人を傷つける行為ってな、一瞬は溜飲が下がるねん。でも、一瞬だけやねん。そこに安住している間は、自分の状況はいいように変化することはないやん。他を落とすことによって、今の自分で安心するという、やり方やからな。その間、ずっと自分が成長する機会を失い続けてると思うねん。可哀想やと思わへん?あいつ等、被害者やで、俺な、あれ、ゆっくりな自殺に見えるねん。薬物中毒と一緒やな。薬物は絶対にやったらあかんけど、中毒になった奴がいたら、誰かが手伝ってやめさせたらな。だから、ちゃんと言うたらなあかんねん。一番簡単で楽な方法選んでももうてるでって。でも、時間の無駄やって。ちょっと寄り道することはあっても、すぐに抜け出せないと、その先はないって。面白くないからやめろって」
そんな人達と向き合っても自分には何の得もない。

 

■後輩の活躍、残酷すぎる現実

彼は誰からも愛されたし、あらゆることを許された。同じことをしたのでは誰も勝てなかった。鹿谷には一時も目を離せない強烈な愛嬌があった。
微笑みながらテレビを見ていた大林さんが、「僕達がやってきた百本近い漫才を鹿谷は生まれた瞬間に越えてたんかもな」とつぶやいた。
その残酷な言葉に僕は思わず叫びそうになった。表情を変えずに奥歯を噛んだ。奥歯を砕いてしまいたかった。ビールはこんな味だっただろうか。

 

■最後の漫才

黒のスーツに何度袖を通してきただろうか。大人になった僕等はきれいな靴を履くことを覚えた。スタンドマイクを挟んで立つ。相方がスタンドマイクに少しだけ触れて、「どうも、スパークスです」と挨拶すると大きな拍手が狭い劇場に響いた。
僕が口上として、「世界の常識を覆すような漫才をやるために、この道に入りました。僕達が覆せたのは、努力は必ず報われる、という素敵な言葉だけです」と言うと、「あかんがな!」と相方が全力で突っ込み、笑いが起こった。
「感傷に浸され過ぎて、思ってることを上手く伝えられへん時ってあるやん?」
「おう」
「だから、あえてな反対のことを言うと宣言した上で、思っていることと逆のことを全力で言うと、明確に思いが伝わるんちゃうかなと思うねん」
「お前は、最後まで、何をややこしいこと言うとんねん」
「まあ、やったらわかるわ。行くぞ」
「おう」
「おい、相方!」
「なんや?」
「お前は、ほんまに漫才が上手いな!」
「おう。いや喜びかけたけど、これ思ってることと反対のこと言うてんねんな」
「一切噛まへんし、顔も声もいいし、実家も金持ちやし、最高やな!」
「腹立つはこいつ」
「ど突き回したろか!」
山下が大声を張り上げると、一際大きな笑い声が劇場に響いた。この小さな劇場では毎日のように、お笑いライブが開催されてきた。劇場の歴史分の笑い声が、この薄汚れた壁には吸収されていて、お客さんが笑うと、壁も一緒になって笑うのだ。
「だけどな、相方!そんな天才のお前にも幾つか大きな欠点があるぞ!」
「なんや!」
「まず、部屋が汚い」
「しょぼいねん!確かに部屋は綺麗にしてる方やけど、もっとあるやろ!」
「小食の遅食い」
「僕ね、大食いの早食いなんです。おい、俺アホみたいやんけ!」
山下と一緒に食事をとると食べ終わるのが早過ぎて、いつも焦らされた。
「彼女がブス」
「いや、嬉しいけど、それ俺のこと違うやん!」
品があって、優しくて最高の彼女だった。
「相方が素晴らしい才能の持ち主!」
「はあ?」
「そんな、素晴らしい才能の天才的な相方に、この十年間、文句ばっかり言うて、全然ついてきてくれへんかったよな!」
僕は、天才になりたかった。人を笑わせたかった。
「なに言うてんねん」
僕を嫌いな人達、笑わせてあげられなくて、ごめんなさい。
「そんな、お前とやから、この十年間、ほんまに楽しくなかったわ!世界で俺が一番不幸やわ!」
相方が漫才師にしてくれた。
「ほんで、客!お前達ほんまに賢いな!こんな売れてて将来性のある芸人のライブに、一切金も払わんと連日通いやがって!」
そして、お客さんが、僕を漫才師にしてくれた。
「お前達、ほんまに賢いわ。おかげで、毎日苦痛やったぞ。ボケ!」
「おい、口悪いな」
相方の顔はもうボロボロだった。
「僕の夢は子供の頃から漫才師じゃなかったんです。絶対に漫才師になんて、ならんとこうと思ってたんです。それがね、中学時代にこの相方と出会ってしまったせいで、漫才師になってもうたんですよ。最悪ですよ!そのせいで、僕は死んだんです、こいつが僕を殺したようなもんなんですよ。よっ!人殺し!」
客席が揺れて見えなくなってきた。
「たまにね、僕達のこと凄い褒めてくれる人がいるんですよ。それが、凄く嬉しくてね。人生を肯定してくれるような喜びを得られるわけですよ。でもね、それに水を差すような奴等がいてね、それが、お前等!」
そう言って僕は客席を睨んだ。
「お前等はスパークスは最低だ!見たくもねえ!とか言って、僕の人生を否定するわけですよ。ほんまに大嫌い!」
客席から啜り泣く声が聞こえてきた。皆、笑いながら泣いている。神谷さんがいた。客席の一番後ろで一番泣いている。
「俺達、スパークスは今日が漫才する最後ではありません。これからも、毎日皆さんとお会い出来ると思うと嬉しいです。僕は、この十年を糧に生きません。だから、どうか皆様も適当に死ね!」
いつか、こんな風につばを撒き散らして大声で叫ぶ漫才がやってみたかったのだ。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
今、僕は漫才をしている。相方と漫才をしている。僕は相方に向かって叫んだ。
「死ね! お前も家族と別々で死ね!」
「やかましいわ!」
もっと漫才をやりたい。ずっと漫才を続けたい。こいつの声は本当によく通る。俺のことを信用してついてきてくれたのに、悔しい思いとか、辛い思いとか一杯したやろう。ほんま、ごめん。
「お前な、暴言吐きまくって、お客さん泣かせて、これのどこが漫才やねん!漫才というのは、お客さんを笑わせなあかんねん!」と相方が言った。
「ほんなら、最後の最後に常識覆す漫才出来たってことやな」
「やかましいわ!」
終わりたくないと思っていた。
「お前も、この漫才の最後に言うことないんか?」
「相方! お客さん! 僕は皆さんに全然感謝していません!」
敢えて、一瞬の間を置こう。
「お前、最低な奴やな」
「いや、俺も反対のこと言うたんや。わかるやろ!」
客席から、ようやく純粋な笑い声が聞こえた。

 

■生きている限りバッドエンドはない

生きている限り、バッドエンドはない。僕たちはまだ途中だ。これから続きをやるのだ。