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kaidaten's blog~書評ノート~

日経新聞の要約や書評を中心にエントリーしてましたが、最近はざっくばらんにやってます。

風の歌を聴け(村上春樹)

書評

村上作品に興味を持っていることを本好きな女友達に伝えると、本書「風の歌を聴け」をお薦めされた。後日、行きつけの本屋で購入して読了。

 

正直、この本の何がそこまで面白いのかよく分からなかった。私は小説をさほど読まないので、行間に込められた筆者の想いを汲み取ることができない。生粋の理系人間で、国語、特に現代文の成績はいつもよくなかった。機微の分からない未熟な私にはこの本の面白さは分からない。

 

ある青年が、ある夏、ある女性と出会い、達観した価値観を持つ友人と行動を共にし、たまに自分の過去を振り返ったりする。そんなごく平凡な学生の日常を描いたこの物語に面白さを見出すことが、私はできなかった。

 

ただ、全体的に懐かしい雰囲気を醸し出している作品であるとは思う。登場人物や情景、音楽、食べ物、小道具がいちいちお洒落でレトロ。舞台は日本だが、日本的な生活感を纏っていないところが個人的にはいいなと思った。村上作品とはそういうものなのだろうか?

 

本書を読み終わったのはちょうど夕暮れ時で、しばらく何も考えずに夕日を眺めていた。すると、物語が自身の切ない過去に投影され、少しセンチメンタルな気分になった。感情が動かされ、その違和感についてしばらく考えさせられた。文学作品を読み慣れていないのでよく分からないが、そういう作品が”おもしろい”というのなら、この作品は”おもしろい”のかもしれない。

 

結局、物語の軸を全く捉えることができなかったので、書評もまとまりがなくなってしまった。幸い、この本に関しては500人弱の読書家がはてなブログで感想文を公開してくれている。興味のある方はそちらを読んでもらえばよいと思う。きっと私よりずっと気の利いたことを書いてくれているだろう。

 

 

 

内容抜粋

▪️鼠の小説

鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いこと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。

 

▪️文明とは伝達である

医者の言ったことは正しい。文明とは伝達である。表現し、伝達すべきことが失くなった時、分明は終る。パチン……OFF。

 

▪️鼠の価値観

「その時に考えたのさ。何故こんなにでかいものを作ったんだろうってね。……もちろんどんな墓にだって意味はある。どんな人間でもいつかは死ぬ、そういうことさ。教えてくれる。でもね、そいつはあまりに大きすぎた。巨大さってのは時々ね。物事の本質を全く別ものに変えちまう。実際の話、そいつはまるで墓には見えなかった。山さ。濠(ほり)の水面は蛙と水草でいっぱいだし、柵のまわりは蜘蛛の巣だらけだ。俺は黙って古墳を眺め、水面を渡る風に耳を澄ませた。その時に俺が感じた気持ちはね、とても言葉じゃ言えない。いや、気持ちなんてものじゃないね。まるですっぽりと包み込まれちまうような感覚さ。つまりね、蝉や蛙や蜘蛛や風、みんなが一体になって宇宙を流れていくんだ。」

鼠はそう言うと、もう泡の抜けてしまったコーラの最後の一口を飲んだ。

「文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね。」

 

▪️風の存在

「急にじゃないよ。君が井戸を抜ける間に約15億年という歳月が流れた。君たちの諺にあるように、光陰矢の如しさ。君の抜けてきた井戸は時の歪みに沿って掘られているんだ。つまり我々は時の間を彷徨っているわけさ。宇宙の創生から死までをね。だから我々には生もなければ死もない。風だ。」

 

▪️一時をともにした女性に対する回想

左手の指が4本しかない女の子に、僕は二度と会えなかった。僕が冬に街に帰った時、彼女はレコード屋をやめ、アパートも引き払っていた。そして人の洪水と時の流れの中に跡も残さずに消え去っていた。僕は夏になって街に戻ると、いつも彼女と歩いた同じ道を歩き、倉庫の石段に腰を下ろそうとして一人で海を眺める。泣きたいと思うときにはきまって涙が出てこない。そういうものだ。

 

▪️あとがき(ハートフィールド、再び)

「宇宙の複雑さに比べれば」とハートフィールドは言っている。「この我々の世界などミミズの脳味噌のようなものだ」そうであってほしい、と僕も願っている。