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kaidaten's blog~書評ノート~

日経新聞の要約や書評を中心にエントリーしてましたが、最近はざっくばらんにやってます。

海辺のカフカ(村上春樹)

 書評

人は、ある場合において、現実と乖離した世界に遷移することができる。

 

それはまるで真っ白な部屋に置かれたガラスのように、当事者はある瞬間までその存在に気付くことができない。入り口は特定の形態を持たないかわりに、ある程度の”集中”と、スイッチとなる”機動装置”が必要となる。

 

15歳の少年の一夏を描いた物語を読んでいるとき、僕の意識は僕の身体を離れ、一つの視点となって物語の情景の中を彷徨っている。僕は少年となり、少女となり、青年となり、そして婦人にもなり得る。

 

しかし、そんな夢のような時間が長く続かないことを僕は知っている。脳が”集中”から解き放たれたとき、僕の意識は現実の世界に引き戻される。

 

この世界では、趣のある私立図書館は存在しないし、幸薄で美人な女性と交わることもない。ましてや、猫と喋れる老人と出会うことなどあってはならない。

 

永遠に続く画一的な道路と、生活感が滲み出る住宅街が周囲を取り囲み、活字の集まりと化した小説が机の上にあるだけだ。そこには、自分の生来を表現する”メタファー”は存在しない。

 

そのギャップに若干のダメージを受けつつも、僕はいつものように現実世界へと戻っていける。そして、この世界で自分に課した目の前の作業に取り掛かりつつ、ぼんやりと意味のない独り言を呟く。

 

結局最後までよく分からない小説だった。

 

 

 

内容抜粋

・世界一タフな15歳の少年

今から百年後には、ここにいる人々はおそらくみんな(僕もふくめて)地上から消えて、塵から灰になってしまっているはずだ。そう考えると不思議な気持ちになる。そこにあるすべてのものごとがはかない幻みたいに見えてくる。風に吹かれて今にも飛び散ってしまいそうに見える。僕は自分の両手を広げてじっと見つめる。僕はいったいなんのためにあくせくとこんなことをしているのだろう?どうしてこんなに必死に生きていかなくてはならないんだろう?ども僕は首を振り、外を眺めるのをやめる。百年後のことを考えるのをやめる。現在のことだけを考えるようにする。図書館には読むべき本があり、ジムにはこなしていくべきマシンがある。そんな先のことを考えたってしょうがないじゃないか。「そうこなくっちゃ」とカラスと呼ばれる少年は言う。「だって君は世界でいちばんタフな15歳の少年なんだものな」

 

・人間は根底で繋がっている

この世界における一人ひとりの人間存在は厳しく孤立であるけれど、その記憶の元型においては、私たちはひとつにつながっているのだという先生の一貫した世界観には、深く納得させられるものがあります。人生の過程におきまして、私自身そのように感じることが多々あったからです。

 

・運動

僕はひとつひとつの個別の筋肉の神経を集中する。運動をひととおり終えたとき、頭はずっとクリアになっている。外の雨もあがり、雲が割れて太陽が姿を見せ、鳥たちがまた鳴き始めている。

 

・想像力を欠いた狭量さ、非寛容さの恐ろしさ

「実にそういうことだ。でもね、田村カフカくん、これだけは覚えておいたほうがいい。結局のところ、佐伯さんの幼なじみの恋人を殺してしまったのも、そういう連中なんだ。想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から恐れ憎む。なにが正しいか正しくないかーもちろんそれもとても重要な問題だ。しかしそのような個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこには救いはない。僕としては、その手のものにここには入ってきてもらいたくない」

 

・すべてのものとの意味

「そりゃいい。だからね、俺が言いたいのは、つまり相手がどんなものであれ、人がこうして生きている限り、まわりにあるすべてのものとのあいだに自然に意味が生まれるということだ。いちばん大事なのはそれが自然かどうかっていうことなんだ。頭がいいとか悪いとかそういうことじゃないんだ。それを自分の目を使って見るか見ないか、それだけのことだよ」

 

アイロニー

「いいかい、田村カフカくん、君が今感じていることは、多くのギリシャ悲劇のモチーフになっていることでもあるんだ。人が運命を選ぶのではなく、運命が人を選ぶ。それがギリシャ悲劇の根本にある世界観だ。そしてその悲劇性はーアリストテレスが定義していることだけれどー皮肉なことに当事者の欠点によってというよりは、むしろ美点を梃子にしてもたらされる。僕の言っていることはわかるかい?人はその欠点によってではなく、その美質によってより大きな悲劇の中にひきずりこまれていく。ソフォクレスの『オイディプス王』が顕著な例だ。オイディプス王の場合、怠惰とか愚鈍さによってではなく、その勇敢さと正直によってまさに彼の悲劇はもたらされる。そこに不可避的にアイロニーが生まれる」「しかし救いはない」「場合によっては」と大島さんは言う、「場合によっては、救いがないということもある。しかしながらアイロニーが人を深め、大きくする。それがより高い次元の救いへの入り口になる。そこに普遍的な希望を見いだすこともできる。だからこそギリシャ悲劇は今でも多くの人々に読まれ、芸術の元型となっているんだ。また繰り返すことになるけれど、世界の万物はメタファーだ。(中略)つまり僕らはメタファーという装置をとおしてアイロニーを受け入れる。そして自らを深め広げる」

 

・生まれる場所と死ぬ場所

「(中略)でも私は思うんだけど、生まれる場所と死ぬ場所は人にとってとても大事なものよ。もちろん生まれる場所は自分では選べない。でも死ぬ場所はある程度まで選ぶことができる」

 

・地球

地球がゆっくりと回転をつづけている。そしてそれとはべつに、みんな夢の中で生きている。

 

・強さ

「僕が求めているのは、僕が求めている強さというのは、勝ったり負けたりする強さじゃないんです。外からの力をはねつけるための壁がほしいわけでもない。僕がほしいのは外からやってくる力を受けて、それに耐えるための強さです。不公平さや不運や悲しみや誤解や無理解ーそういうものごとに静かに耐えていくための強さです」

 

・恋

「にもかかわらず、それはやはり君が自分で考えて、自分で判断しなくてはならないことだ。誰も君のかわりに考えてあげることはできない。恋をするというのは要するにそういうことなんだ、田村カフカくん。息をのむような素晴らしい思いをするのも君ひとりなら、深い闇の中で行き惑うのも君ひとりだ。君は自分の身体と心でそれに耐えなくてはならない」

 

・リアリティー

「どんなものでも、数量があるポイントを越えると、リアリティーが失われてしまいます。要するにたくさんのお金です」

 

・音楽

「じゃあひとつ訊きたいんだけどさ、音楽には人を変えてしまう力ってのがあると思う?つまり、あるときにある音楽を聴いて、おかげで自分の中にある何かが、がらっと大きく変わっちまう、みたいな」大島さんはうなずいだ。「もちろん」と彼は言った。「そういうことはあります。何かを経験し、それによって僕らの中で何かが起こります。科学作用のようなものですね。そしてそのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛りが一段階上にあがっていることを知ります。自分の世界がひとまわり広がっていることに。僕にもそういう経験はあります。たまにしかありませんが、たまにはあります。恋と同じです」

 

・説明できないもの

「そのとおりだ。それで、ことばで説明しても正しく伝わらないものは、まったく説明しないのがいちばんいい」

 

・考えかたや感じかた

「(中略)人間というのは、もちろんある程度まではということだけど、生まれて育った場所に決定されてしまうところがある。考えかたや感じかたがおそらくは地形や温度や風向きと連動しているんだな。君はどこで生まれた?」