「まぁいっか」と考えるようにしたら生きるのが楽しくなった
「まぁいっか」で生きやすくなった
異常なまでに他人に勝つことに固執して生きてきたと思う。それなりにピラミッドの上まで行くことはできたけど、勉強でも運動でも仕事でも、結局上には上がいるもので、それが楽しくて楽しくて仕様がない人たちには、どうやったって敵うことはない。歳を重ねるにつれて挫折する回数が増える一方で、妬みの命は自分の中に残り続け、こじらせた。
その後色々あって、ぶちのめされて、ボッコボコ完全KOプライドずたずた。
「あーもういいや」と思うようになってから、やっと生きることが楽になった。というか楽しい。
「こんな年齢にもなってこんなこともできない…まぁいっか。いずれなんとかなる。」
「周りは自分よりも仕事ができる人だらけ…まぁいっか。死にはしない。生活が脅かされることもない。」
「怒られた…まぁいっか。初めてだしね。」
こんな感じだ。そして楽。
これは諦めなのか?
ただ、以前よりも作業の効率は上がっているし、結果的に物事を前に進められている。諦めだろうがなんだろうが、総合的にプラスに働いている。
これまで、あまりにも理想を追求しすぎてきた。自分の役割に対する決めつけが多く、現実とのギャップに悩み続けた。理想が消え去ったことで、そのギャップが埋まり、今、楽になった。
昔、某国民的番組にて某司会者が「等身大の自分という表現が嫌いだ」という旨の話をしていて、それからなんとなく等身大という言葉に対して一種の胡散臭さを感じるようになった。長い人生、何気無く聞いた一言が記憶の中に残り続け、関連する表現を聞いたときに当時の感情とともに言葉が自動再生され、やがて自分の中で確固たる信念にまで成長することがある。僕の場合はタモリの一言がそれだった。
今思う。いいじゃないか「等身大」。
というか、タモリは芸能界随一の「等身大」人間だ。「等身大」の何が嫌いなんだてめぇ、紛らわしいこと言ってんじゃねぇよ禿げサングラス。
タモリに切れても仕様がないのだけど、それくらいの感覚。平たく言えば「目から鱗」。
人生は長い。長くて色々ある。目先のことにいちいち憤っていても、エネルギーを消費するだけだ。エネルギーはもっと自分が興味のあることに使った方がよい。
そういう風に思っている今、気付けばどん底は過ぎ去って、私のキャパシティは少しだけ広がり、少しだけ強くなった。
という話。