深夜特急4ーシルクロードー
書評
第四弾はインドを出発してシルクロードへ
東南アジア、インドのけたたましさから一変、遊牧民と砂漠に沈む夕日といったどこか美しく落ち着きのある旅が描かれている
筆者がこれまでになく”孤独”を意識しているように思えた。作中で出会う日本人に対して心の安らぎを求めている描写もあった
個人的に気に入ったのが、”ヒッピーバス”の話。異国の若者同士が怪しげなバスの旅を通じて奇妙な連帯感を抱き、徐々に打ち解け始める。自分もそのような経験を人生で一度はしてみたいと思った。
内容抜粋
しだいに近づいてきた向こうの若者が、ふと眼を上げる。そこに自分と似たような姿の私がいることに気がつくと、微かに顔の表情が動く。彼にとって私は、東から西へ、それもいささか恐ろしげなところのあるインドを通り抜けてきた、いわばインドからの生還者なのだ。彼の眼にも、親愛と畏敬の念がないまぜになったようなものが、うっすらとだが滲んでくる。だからといって立ち止まりなどせず、ただ互いに顔を見合わせ、口元を綻ばせ、擦れ違う瞬間にどちらかともなく声を掛ける。
「グッド・ラック!」
「グッド・ラック!」
そう言ってから、私は口の中で小さく呟く。達者でな。と
「だからアフガニスタンでは、綺麗に漂白された粒子の細かいものより、一粒一粒が見分けられるような粗いものの方が喜ばれるんだよ」
夕陽を隠す西の山と、その光を受ける東の山と、それらに囲まれた一台のバス。この広大な砂漠に在るのはただそれだけだった……。
やがてそのうちに、いくつかの宿と食堂がヒッピーたちの間で伝説化していく
日本から遥かに離れたこのイランで、いくつかの偶然によって、十何カ国かの若者たちと共に怪しげなバスに揺られ、今この眩しいほどの夜空を眺めている。そのことがわけもなく感動的なことに思えてならなかった。
その光の海がテヘランだった
偶像拒否の精神、偶像不在の建築とはどういうものなのか、ということのようだった
長く日本を離れる旅を続けていて、まず何よりも恋しくなるのは日本語である。少なくとも私にとっては食事よりも言葉であり、活字だった
旅の日々の、ペルシャの秋の空のように透明で空虚な生活に比べれば、その向こうにあるものがはるかに真っ当なものであることはよくわかっていた。だが、私は、もう、それらのものと折り合うことが不可能になっているのではないだろうか。