kaidaten's blog

kaidaten's blog~書評ノート~

日経新聞の要約や書評を中心にエントリーしてましたが、最近はざっくばらんにやってます。

上昇思考〜幸せを感じるために大切なこと〜

書評

サッカー界の世界最高峰のクラブ”インテル”に日本人として初めて移籍し、活躍している”長友佑都”の著書。

 

一流のアスリートは一流の経営者やビジネスマンと共通する考えをいくつも持っている。結局、大きな夢を実現できる人は、人格者だ。決して才能だけで上り詰めたわけではなく、弛まぬ克己心を抱き、日々努力することで道を開いている。人間的に超一流なのだ。

 

長友はとにかく前向き。ポジティブ。彼のいつでも笑顔で感謝を忘れない姿勢を私も見習いたい。信じて信じて頑張れば必ず夢は叶う。どんなに辛いことがあっても、後から振り返ればそれはただの通過点であり、逆になくてはならない経験だったと気付く。

 

正直、私と長友とでは、その性格は大きく違うと思う。しかしながら、私が彼の考え方や姿勢を見習い、真似することは可能だ。俗に言われるように、性格は変えられなくても、考え方や行動は変えられる。

 

自分は今、今までの人生で最もどん底に近い位置にいると思う。それでも、諦めず精一杯頑張っている。ほとんど誰も見ていないこのブログを更新し続けているのも、少しでも自分の流れがよい方向に進むよう、過去・現代の偉人の考え方・行動をいつでも見返せるようにするためだ。

 

後々振り返り、「あのときの経験が今の僕を生かしている」と言えるように僕は今を生きる。長友選手のように感謝と希望を胸に抱き、頑張って進んで行く。

 

 

 

内容抜粋

 

人間のすべては心で動いている

心の状態によって、何が見え、何が感じられるかということはまったく違ってくる。その事実は、普通に想像されるレベルをはるかに超えているのではないかと思う。

 

「試合に勝っても負けても、いいプレイができてもできなくても動じることがないように頭(心)を常に安定させておくことが大切なんだ」そんなサネッティの言葉は、僕の考えが間違いではないとも裏付けている。

 

こうした心の問題に気がつくきっかけを与えてくれたのはインテルのチームメイトたちだった。練習でも試合でもオフの時間でも、彼らがどんなプレイをして、どんな行動をしているかを見ているうちに「動じない心」や「人間として一流であること」がもつ意味がどれだけ大きいかが分かってきた。

どんなにプレッシャーのかかる試合や追い詰められた場面でも、常に冷静に自分のプレイができていて、焦りの色を見せたりしないのも超一流とされる選手ならではのことだろう。

 

誰にでもできる「心のトレーニング」

重点的にメンタルを見直していこうと考えてから、僕がやったのは少しも特別なことじゃなかった。それは、ピッチを離れている日常の時間でも、自分の心と向き合い、心と会話を続けることだ。

 

1日10分間の「自分と向き合う時間」

今現在も僕がやっていることだけど、1日10分間、自分と向き合う時間をつくるようにするのもいいと思う。僕の場合でいえば、その時間に自分の夢を頭に思い描き、その夢や、途中に設定している目標に対してどれくらいの距離が残されているかを考えている。 

 

インテルには、本格的なボランティア活動をしている選手もいる。すぐに彼らと同じことはできないにしても、自分のできる範囲で何かをやるようにして見習いたい」そんなことが頭に浮かんでいた。

 

「負けが続いていて、いいことがないようなときでも、いっぱい笑って、いまを楽しむことだ。笑顔はすべてを救ってくれる」

インテルの連敗が続いていても、サネッティが笑顔でサポーターに手を振り続け、練習前には大きな声で唄いながら歩いていた理由もそれでわかった。

 

最初にも書いたことだけど、僕自身、よくやっているのは、ネガティブな思考が頭に浮かびかけたときには頭を上げて、上を見ること。

 

「感謝の心」という言葉は、中学時代からずっと大切にしている。サッカー部顧問の井上博先生が、「自分づくり」「仲間づくり」「感謝の心」が人としての三本柱になるものなのだと、繰り返し繰り返し教えてくれたからだ。

 

コミュニケーションにおいて最も大切な要素を僕なりに挙げるとすれば、笑顔になるだろうか。とにかくいっぱい笑うこと。

 

目の前で起こるいろいろなことを鷹揚(おうよう)に受け止められるゆとりがあれば、絶対に大丈夫!どこに行ってもうまくやっていけるに違いない。 

 

思いついたら、すぐ行動に移す

やらされる練習よりも、自分から行う練習は何倍も身になるのは間違いない。

 

サッカーをやめなければいけない可能性があったということでは大学時代のヘルニアもそうだった。それにしてもやはり、それが大きな挫折だったという感覚はない。いまの体幹を作るために「経過すべきだったポイント」として、僕の中ではプラスの経験という認識になっている。

 

最初から定められていた「宿命」というものはあるとしても、「運命」というものは、出逢いや性格と同じように、自分で変えられる 。