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kaidaten's blog~書評ノート~

日経新聞の要約や書評を中心にエントリーしてましたが、最近はざっくばらんにやってます。

人間革命 第二巻

 

書評

人間革命〈第2巻〉 (聖教ワイド文庫)

人間革命〈第2巻〉 (聖教ワイド文庫)

 

 

創価学会員である私にとって、「人間革命」という小説の書評を自身のブログに公開するまでには相当な時間がかる。本書は創価学会歴代会長の教えとその歴史を凝縮した物語であり、現名誉会長池田大作氏が魂を込めて書き上げた小説であるからだ。同じ本を何度も読み返し、その中から感銘を受けたエッセンスを抽出する。そして自分なりにその内容を要約し、誤った解釈を生まないよう書き上げた文章を見直しては訂正する作業を繰り返す。

 

 

 

このブログは一般公開している以上、読者の方々に自分の考えを伝えるための媒体である。しかし同時に、自分自身が書籍から得た気づきや感銘を留めておくためのツールとしても機能している。以前のエントリーでも紹介した通り、「内容抜粋」欄は主に私自身のために設けている。自分にとって大切な本だからこそ、「内容抜粋」欄に”抜粋”される文章の量は自然と多くなってくる。「人間革命」をエントリーするまでには、なかなか骨の折れる作業が蓄積されているのだ。

 

今回も前置きが長くなってしまったが、「人間革命」第二巻の概要と感想を以下紹介する。

戸田城聖の出獄から始まったこの物語は、第二巻において既に学会員による本格的な学会再建、折伏業推進の様子を描くまでに至っている。戸田の御書講義は盛況を増し、地方への指導にも熱が入る。世間が、急激なインフレによる抗争に荒れる中、学会は怒涛の勢いで成長し、戦前の規模にまで拡大することになる。その最中、ついに後に創価学会を背負って立つ山本伸一池田大作氏がモデル)が物語中に登場する。戦後、正しい生き方を求め哲学を学ぶ山本伸一と、学会の将来を考える戸田城聖の出会い。後に師弟不二の関係を築く二人が座談会で初めて顔を合わせることになるのだ。

 

本書を読み進める中で特に印象的だったのが、戸田城聖の弟子への接し方だ。形式主義を嫌い、老若男女分け隔てなく少人数の座談会形式で教えを説いていく。「人は見かけで判断してはいけない」という信念を持っているため、どこまでもダイヤの原石である庶民に心を砕いて対話を重ねていく(ちなみに座談会形式による対話は、現創価学会にもきちんと継承されている)。かつての日蓮大聖人も同じ姿勢であった。日蓮は齢十二歳で出家し、短期間で釈尊の経典を読み解き、法華経が最高の仏法であることを導き出した。かなりの知性を持ち合わせていたにも関わらず、積極的に仮名文字を使った文章を遺されていることで有名だ。多くの坊主に馬鹿にされる中、できるだけ教えの内容を分かりやすく表現するために仮名文字を多用したのだ。どこまでも庶民の立場に立って行動した僧の一人だ。自分の私利私欲のために動いた坊主が存在した鎌倉時代において、二度の流罪と死罪の危機に直面しながらも生涯折伏業と弟子への励ましを貫いた。真の仏法指導者である。その教えはどこまでも経典に即しており、論理的かつ的確である。戸田も同じであった。私見に陥らぬよう御書を引用して悩める庶民の言葉に一つ一つ答えていった。創価学会がここまで発展したのも、御書根本に正しい実践を積み重ねきたからだ。

 

そして仏法と世相のリンク。人間の最大の不幸は誤った宗教を信じることだと日蓮は述べている。法華経が拡まっていた平安時代には死刑が一度も行われなかったことで世界的に有名だという。正しい仏法が世に普及することで、人間一人ひとりの根本が正しい方向に向かい、結果として安定した国家の興隆に繋がるのだ。国家の再建は庶民一人ひとりの人間の変革から始まる。だからこそ正しい仏法の流布が必要なのだ。

 

第二巻も内容が濃く、非常に多くのことを学ばさせてもらった。残りの十巻も気持ちを込めて読んでいきたい。そしてその内容を当ブログで紹介していきたい。

 

 

 

内容抜粋

▪️幾山河

・増田一家には御本尊があった

慣れない農作業は、実に辛かった。勝手も違う。しかし、彼らには、御本尊があった。慌ただしく変動する時代に、生活様式も大きく変わる人生行路に立って、ただ一筋に、御本尊に一切を願わずにはいられなかった。(中略)彼らは慣れぬ農作業に懸命に取り組んだ。また、地域への貢献のために力を注いできた。彼ら一家の真剣な仕事ぶりと、純粋に信仰を続ける姿に、村人の好奇の目も、いつか畏敬の目に変わっていった。一家の折伏活動は、歓喜のうちに、自然と始まっていったのである。御書に「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(八五六ページ)とある。妙法それ自体の偉大さに変わりはないが、それを弘める人の出現を待って、初めて法の尊さが実証されるという原理だ。

 

・村の折伏に悪戦苦闘する増田直江・政子姉妹に対する戸田城聖の激励

彼女たちは、村の折伏の困難を訴えた。戸田は、優しく、つつみ込むように話を聞いた。終わると、温かい激励の末に、きっぱりと言った。「よろしい。行ってあげよう。しっかり下種しておきなさい。約束したよ」姉妹は、闘魂を燃え上がらせ、火の玉のようになって、村へ帰って来た。

 

・一人の決意、一人の信心(増田久一郎)

彼女たちは、父親の確信を通して、いざという時の一人の決意、信心が、どれほど多くの人に影響を及ぼすかを、あらためて知った。この時の父親の一言が、二人の人生の糧となった。

 

戸田城聖折伏

「このように、地獄界から仏界まで、十種類の生命の状態というものは、それぞれ、必ず何かの縁によって現れ、私どもの心身を、一喜一憂させているわけです。これが、われわれの生命の実態であります。また、宇宙の実相も、一切の現象も、瞬間瞬間、十種のうちの、必ず、どれか一つの状態にあるのです。悪い現象や状態でいるのは、誰でも、いやなものであります。望むらくは、良い現象に見舞われ、満足した状態でありたい。すなわち、幸福でありたいとは、誰もが願うところであります。しかし、ただ願っていれば、叶うというものではない。それは、皆さん方も、経験から、よくご存じの通りであろうと思います。ここで、真実の生活の根源力ともいうべき、力ある宗教が必要になってくるのです。日蓮大聖人様は、このことを生命を賭して、お教えくださっております。われわれは、自分の意思だけでは、強い、清らかな金剛不壊の幸福境涯に立つことはできません。それには、仏の生命を顕現すべき対境が、絶対になければならない。どんな境涯といえども、必ず縁によって生ずるからであります。この対境が、結論していえば、御本尊なのです。この妙法の力によって、醜を美に、害を利に、悪を善に変え、永遠に滅びざる仏の生命を、われわれに涌現させてくださるのです。ここに、末法の御本仏たる、日蓮大聖人御出現の意義があることを、私どもは知らねばなりません」(中略)この乱脈な様相こそ、日蓮大聖人が教えられた妙法を、無視し続けた結果である。正法を見失って倒れた国は、正法によって立つしか道がない、と力説していったのである。

 

・実践をともなう哲学が必要

「民族が復興するには、必ず哲学が必要であります。その哲学は、また実践をともなわなければならない。実践のない哲学は、観念の遊戯にすぎません。戦時中、国家神道を強制して、大失敗したわが国は、戦後いかなる哲学と道徳を基調として、復興すればよいのでしょうか。人びとを迷わす低級な宗教や、暴力的、退廃的な思想がはびこっている現在、わが創価学会は、偉大な日蓮大聖人の哲学を身に体して実践し、祖国の「復興に寄与しようとしているのであります」

 

戸田城聖の指導

戸田の指導は、いつでも、場所を選ぶことなく、形式抜きで行われた。人によっては、自分の一生を左右しかねない問題で、指導を受けているのである。その場限りの感情論で、納得のいかない指導をしていては、人生を大きく狂わせてしまう。だから戸田は、絶えず妙法を根幹に、揺るぎない信心の立場から、真剣勝負で臨んだ。

 

▪️序曲 

マッカーサーの草案

この時期、日本占領政策についての連合国の最高決定機関である極東委員会の第一回の会合が、二月末に開催されることが決定していた。委員会には、天皇制廃止を強硬に主張しているソ連やオーストラリアが参加していた。極東委員会が活動を開始した場合、GHQは、その指示に従わなければならない。マッカーサーは、日本が天皇の地位の安泰を図るには、極東委員会が異を唱えにくいような、平和的、民主的憲法案を、早急に示す必要があると考えていた。それには、象徴天皇制主権在民戦争放棄を明確にすることが絶対に必要であり、これを受け入れなければ、日本の安泰も、天皇の安泰も困難であろうーと、彼は説いたのである。幣原は、もはや、GHQ草案を拒否することはできないと悟った。

 

ガンジーのことば

マハトマ・ガンジーは、喝破した。「宗教の欠如した政治は、国家の首を吊るロープであります」この言葉を、政治家も、国民も、深く心に刻むべきであろう。

 

憲法を生かすには根本である人間の変革が必要

資本主義であれ、共産主義であれ、また、いかなる政治形態であれ、戦争放棄をうたった憲法を、どのように生かしていくかは、主権者である国民一人ひとりに、かかってこよう。その根本である人間の変革が、不可欠となろう。

 

広宣流布とは

既存の、あらゆる主義、思想を、人間という根本の次元から、人類の平和と幸福へリードしゆく、新しい理念は、日蓮大聖人の仏法の生命哲理から生まれるにちがいない。この大哲理によって、民衆の新しい時代が開かれた時、人類は、劫初以来の悪夢から覚め、平和の大道を力強く歩み始めにちがいない。同時に、憲法の平和精神を、広く世界に宣言しきることができるだろう。広宣流布とは、まさしく、永遠の平和を地上に具現することであり、それは、仏法の慈悲と平和の哲理が、人びとの精神の大地に、深く打ち立てられていくところから達成されるのだ

 

広宣流布は大地を的とするなるべし

今地球上の一角にある日本国に、戦争の放棄、平和主義を掲げた憲法が、忽然と現出したことが、戸田城聖には、不思議に思えてならなかった。彼は思った。いや強く確信した。”広宣流布が、まず、この国に実現できるという証拠なのだ!”御書には、広宣流布は、「大地を的とするなるべし」(一三六〇ページ)と、明白に仰せである。「時」と、「機」と、「国」の条件は、熟しきっている。あとは「教」を教え、「流布」を実践することが、今、残されていることだ。それにしても、これに気づいている人は、ほかに誰もいない。話しても、誰も信じようとしないだろう……”

 

牧口常三郎会長の三回忌

「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れて行ってくださいました。そのおかげで『在在諸仏土 常与師倶生』(法華経三一七ページ)と、妙法蓮華経の一句を、身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本時を知り、法華経の意味を、かすかながらも身読することができました。なんたる幸せでございましょうか」(中略)「創価教育学会の盛んなりしころ、私は、あなたの後継者たることをいとい、先に寺川洋三君を推し、後に神田丈治君を推して、あなたの学説の後継者たらしめんとし、宮島辰司君を副理事長として学会を総括そしめ、私はその列外に出ようとした、不肖の弟子でございます。お許しくださいませ。しかし、この不肖の子、不肖の弟子も、二カ年間の牢獄生活に、御仏を拝し奉りては、この愚鈍の身を、広宣流布のために、一生涯を捨てる決心をいたしました。ご覧くださいませ。不才愚鈍の身ではありますが、あなたの志を継いで、学会の使命を全うし、霊鷲山会にて、お目にかかる日には、必ずや、お褒めにあずかる決心でございます。弟子 戸田城聖申す」

 

・一人も退転せず、尊い生涯を送ってもらいたい

 御書には、「聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(一五四四ページ)とある。戸田は、心のなかで祈った。祈らずにはいられなかった。”どうか、一人も退転せず、尊い生涯を送ってもらいたい”

 

・御本尊の功徳

御本尊の功徳を知らない人は、「そんな奇跡は信じられない」と言うかもしれない。しかし、また仮に、それが奇跡であるとしても、このような奇跡的現象が、何人にも重なって起こった場合、なんと答えるのだろうか。仏法の生命哲理は、そのような不可思議と思えるような現象でさえも、因果の理法に照らして説明しているのである。

 

日蓮大聖人の指導の姿勢

遠く日蓮大聖人は、難解な仏法哲理をわかりやすく、仮名を多く用いた御手紙で、門下を指導された。漢字ばかりの天台学にとらわれた僧侶たちは、それを浅はかにも笑ったと伝えられている。難解な理論を弄び、さも知識人ぶって、うぬぼれている偽学者たちは、現代にも多い。まず、民衆が納得するような理論でなければ、それは生活の足しにもなるまい。最も平易に、具体的に指導できる人物こそ、学者としても優れた力をもつにちがいない。理論のための理論の遊戯は、積み木細工の子どもの遊びと、なんら変わりないはずだ。

 

妙法蓮華経は生命活動の本源力

しかして、妙法蓮華経とは、宇宙一切の神羅万象を包含する、一大生命活動の本源力であり、人生の最高法則である。この大法則を根本とする信仰生活には、言うに言われぬ偉大な利益があるのです。逆に、不信、謗法の徒には、生命の一大法則に背くがゆえに、因果の理法により厳しい罰の現証があるのであります。

 

・現実の苦悩を解決できなければ、力ある宗教とはいえない

大聖人は仰せである。「道理証文よりも現証にはすぎず」(御書一四六八ページ)現実の苦悩を解決できなければ、力ある宗教とはいえない。利益といっても、現実の生活のなかに現れ、自覚されるものでなくてはならない。日蓮大聖人の仏法は、一時的な、また、目先の利益にとどまらず、いかなる苦難にも負けない堅固な自己自身を確立し、絶対的幸福境涯を築き上げる大利益を、万人に約束しているのである。

 

▪️光と影

戸田城聖の庶民との触れ合い方

戸田は、何ごとにも形式主義を嫌った。生命と生命との、実質ある触れ合いは、形式的な官僚主義からは生まれない。あくまで庶民の味方として立つ彼は、一切の形式的な虚飾を取り去って、庶民の、ありのままの生地を大事にしたのである。

 

・座談会形式の意味

戸田は、戦後日本における布教形態として、あえて小単位の座談会を各所で開いていった。たいていは、わずか数人から二十人程度の会合である。このような地味な会合を、座談会として活発に行ったのには、理由があった。そこには、老人も、青年も、婦人も、壮年も、誰もが集うことができる。貧富の差や学歴の違いは、全く問題ではない。むろん、この会合には、中心者はいるが、あくまで皆が主役である。したがって、今日、初めて来た人も、あるいは信仰に疑問を持っている人でも、自由自在に意見や、質問や、体験を語ることができる。一切の形式抜きで、全員が納得するまで、語り合うこともできる。戸田は、これこそ民主主義の縮図であると考えた。

 

・間違ったものを信じることの恐ろしさ

「君の経験でわかるように、無批判に信じるということは、恐ろしいことなんだ。世の中に、こんな恐ろしいことはない。間違ったものを信じると、人は不幸のどん底に落ちる。どんなに正直で、どんなに立派な人であっても、この法則に逆らうことはできない。君は、こういうことを、ちょっとでも考えたことがあるかね」(中略)「しかし、君が、ここで考えねばならないことは、心から信じるに足るものが、果たしてこの世にあるか、ないかということだ。キケロという哲学者も、病気にかかった思想は、病気にかかった肉体よりも始末に負えないし、その数も多いーと言っているくらいだ。結論的に言って、日蓮大聖人は、一切の不幸の根本は、誤った宗教・思想にあると断言していらっしゃる。そして、究極のところ、正しい宗教・思想は、何であるかをご存じだったから、あらゆる迫害に屈せず、命をかけ、大確信をもって、お説きになったのだ。その大聖人様が、君を騙して、いったい何になる……。間違った宗教・思想が、不幸の原因だとしたら、正しい宗教・思想が、人びとを幸福にするのは当然じゃないか。少しも不思議なことなんかあるものか。その正しい宗教の根本法を、南無妙法蓮華経という。大聖人様は、末法の不幸な民衆を憐れんで、その根本法を御本尊という形にして残された。それが、ここの家にもある、あの御本尊様です。観念論でも、空論でもない。偶像崇拝でも絶対ない。この御本尊を対境として、自身の仏の生命を涌現していく宗教だ。自分自身の仏界を涌現して、自己の最大最高の主体性を確立し、人間革命していく宗教です。」

 

・正しい宗教

戸田は、今、生きた宗教が、日本に実在することを知っていた。そして、人びとを覚醒させるためには、仏教の真髄である、日蓮大聖人の生命哲理による以外にないと確信していた。それが、一切の生活の原動力になるべきであると考えていたのである。それは、道理のうえからも、また、さまざまな文献によっても、さらには自身の体験からしても、絶対に誤りのないことを、彼は固く信じていた。

 

・妙法による本源的な解決

「かわいい弟子たちが、生活のために、一生懸命戦っている。愛する君たちのために、ぼくが必要だというなら、ぼくはデモの先頭に立って、赤旗でもなんでも振るよ。しっかり、自由にやりたまえ。しかし、それで一切が解決するように思い込んでいるが、それは錯覚だ。妙法による本源的な解決からみれば、何分の一、何百分の一の解決でしかない。だが、ともかく戦う以上、勝たなければならない。どうなろうと、題目をしっかりあげ、御本尊様に願い切ることが、一切に花を咲かせていく究極の力であることだけは、瞬時も忘れてはならない、そうでなければ、信心している価値がない」

 

・人生の最大の難問を解決できる唯一の法

「要するに、医者で治るような病気は、医者で治せばいいのだ。しかし、医者で治らない病気、これが人生の難問です。だが、いくら難問でも、これを解決できる法がある。絶対に治すことができる、と言ったらどうだろう。(中略)どうしても解決できない、重大問題がある。そういう問題を人は諦めてしまう。だが、よく考えてみると、人間の性格や宿業をはじめとして、一家の家庭の問題や生老病死など、解決できない問題の方が、意外に多いものだ。社会といっても、また大衆といっても、あるいは労使と分けても、所詮は一個の人間から始まって、その集団にすぎない。ゆえに、この一個の人間の問題を根本的に解決し、さらに全体を解決できる法が大事になってくる。それは、真実の大宗教による以外にないんです。」

 

▪️前哨戦

・既成宗教の頽廃

青年たちが、もっと驚いたことがある。それは、既成宗教の僧侶や幹部に、個人的に会って折伏すると、宗教に関して専門家であるべき彼らが、宗教や、その教義、哲学については、まったく理解していないということであった。(中略)釈尊も予言している。”末法に入れば、世も乱れ、僧侶は、漁師が獲物を狙う如く、また猫がそっと餌を狙う如くに、信者のご機嫌を取ることのみを考え、人々を利用し、ただ自分の生活に貪欲になっていくであろう”(御書二二五ページ、取意)と。

 

世界宗教とは

世界宗教といわれるものは、普遍的な理念をもち、人類の未来を照らそうとする崇高な理想を説き、そして、それを実現するための使命感を訴えている。

 

・いかなる教団の教義も、問題ではない

日蓮大聖人の仏教の真髄を、ひとかけらでも身につければ、いかなる教団の教義も、問題ではないのだ。勝負は、初めから決まっている。それを、いかにも自分たちの力でやったように、手柄顔をする者がどこにいる。道場破りの根性はいかん。英雄気取りはよせ。暴言を慎み、相手からも、心から立派だと言われる人になれ」(中略)同じ折伏の行動であっても、その一念は、人によってさまざまである。広宣流布を願っての真心の折伏もあれば、英雄気取りの言説もある。戸田は、それを見抜いていた。事実、戸田の注意が的中し、後年、この青年たちのうちから退転者が出ることになるのである。

 

▪️地涌

・教育の重要さ

人をつくることを忘れて、社会の確かな未来はない。教育は、その根幹となるものであるはずだ。教育者であった初代牧口常三郎は、未来の宝である「子どもの幸福」こそ、教育の第一義の目的とすべきであると、力説してやまなかった。「人間」が「人間」として、自らをつくり上げていくーそのためにこそ、教育はあるはずである。その教育に、社会を挙げて取り組むことこそ肝要であろう。

 

・彼らは輝いていた

余裕のある生活をしている人は少なかった。だが、ともかく彼らは、生き生きとしていた。彼らは、まず宗教革命によって、この大悪を大善に変えていくのだという、希望に燃えていた。互いに、革命児としての使命を教わり、社会建設の指導者として薫育されたことをなによりの誇りとして、生き抜いてきたのである。人びとが、愚痴と利己主義に落ちている最中に、自分たちは、崇高な使命に生きて活躍しているという、強い自覚によって輝いていた。

 

山本伸一の登場

二人はかつての同級生を探し出し、着実に折伏を始めた。(中略)たまたま地元に残っていた同級生の家に、足しげく通っていた。そのような同級生の一人に、山本伸一という青年がいた。(中略)しかし、伸一の話を総合してみると、彼は、どうやら哲学に最も関心を払っていることが、わかってきた。 

 

・生死の問題をどう解決するのか

「人間の長い一生には、いろいろな難問題が起きてくる。戦争もそうでしょう。現下の食糧難、住宅難もそうでしょう。また、生活苦、経済苦、あるいは恋愛問題、病気、家庭問題など、何が起きてくるか、わからんのが人生です。そのたびに、人は命を削るような思いをして、苦しむ。それは、なんとか解決したいからだ。しかし、これらの悩みは、水面の波のようなもので、まだまだ、やさしいともいえる。どう解決しようもない、根本的な悩みというものがある。人間、生きるためには、生死の問題を、どう解決したらいいかーこれだ。仏法では、生老病死と言っているが、これが正しく解決されなければ、真の正しい人生なんか、わかるはずはありません。生まれて悪うございました、と言ったって、厳然と生れてきた自分をどうしようもない」

 

戸田城聖の人となり

真面目な会話のなかにも、ウィットとユーモアをはさむことによって、それが潤滑油となり、人びとの心に親しみをいだかせることがある。戸田は、話のなかに、常にウィットとユーモアをはさむことを忘れなかった。

 

・南無妙法蓮華経とは

「その南無妙法蓮華経というのは、どういうことなんでしょうか」「これは、詳しく言えば、いくらでも詳しく言える。釈尊が一代に説いた八万法蔵といわれる膨大な教えも、煎じ詰めれば、この南無妙法蓮華経の説明とも言える。一言にして言えば、一切の諸の法の根本です。宇宙はもちろん、人間や草木にいたるまでの、一切の宇宙現象は、皆、妙法蓮華経の活動なんです。だから、あらゆる人間の宿命さえも、転換し得る力を備えている。つまり、宇宙の根源力をいうんです。別の立場からこれを拝せば、無作三神如来、すなわち根本の仏様のことであり、永遠に変わらない本仏の生命の名前です。釈尊滅後二千年以後、すなわち末法という時代に入っては、その仏様は日蓮大聖人であり、その大聖人は、御自身所具の久遠元初の生命を、御本尊様として顕されたのです」(中略)「難しく言えば、法本尊即人本尊で、人法一箇のこの御本尊こそ、南無妙法蓮華経の実態といえるのです。釈尊は、法華経の序文にあたる無量義経で、『無量義とは、一方従り生ず』(法華経二五ページ)と説いている。その一法が南無妙法蓮華経であり、一切の思想、哲学の根本ということです。」

 

山本伸一戸田城聖に抱いた印象

簡明直截な回答である。呆気ないともいえる。彼の所論には、理論をもてあそぶような影は、さらさらなかった。山本伸一は、戸田の顔をじっと見つめていた。彼に、決定的瞬間がやってきたのは、この時である。”なんと、話の早い人であろう。しかも、少しの迷いもない。この人の指導なら、自分は信じられそうだ”

 

・偶然の一致

ーその時、戸田城聖は十九歳で、牧口常三郎は四十八歳であった。今、戸田は、四十七歳になっている。そして、今夜の山本伸一は、十九歳だと言った。彼は、若き日から牧口に師事し、牧口を守りきって、戦い続けてきたことを思い起こした。時代は移り変わり、自分にも、黎明を告げるような真実の青年の弟子が現れることを、心ひそかに期待していたのであろうか。

 

・戸田の学生時代

戸田は、ある医院に書生として住み込んだり、今日でいうアルバイトを続けながら、転々として落ち着かなかった。しかし、彼の大志は、くじけなかった。苦難に降伏し、堕落の人生に陥る青年もいるが、戸田は、苦難に向かって雄々しく邁進していった。彼は、「波浪は障害にあうごとに、その頑固の度を増す」という箴言のように、一切の苦難を、自身の大成への試練とし、生涯の財産に変えていったのである。「艱難に勝る教育なし」との西洋の箴言があるが、それは、当時の戸田に、最もふさわしい言葉であった。(中略)「人の嘲笑、世の罵倒そもなんぞ。自己に信ずる所あれば可なり。恐るるな、人の嘲笑、世の罵倒……一度立つ時は、天下を席捲(せつけん)する可き腕を持て……腕と自信をもって立て、知己を百生に求めよ、現世に知らるるを心掛るな。己れに授れる責任を求めて、これを果せ」

 

・教師としての戸田

彼は、ある教え子を東京に呼んで、就職の世話までしている。また、ある優秀な教え子から、貧乏のため上級学校への進学ができない嘆きを聞くと、国語の小辞典を贈って激励した。この小辞典をもらった少年は、老いてからも、ボロボロになった小辞典をなでさすり、戸田の恩愛に深さを思い返すのであった。「戸田先生が、真谷地にいたのは、ほんのわずかな期間で、私たちが教わったのも一年足らずでした。だが、同級の者が集まれば、何年たっても、戸田先生のことで話に花が咲きます。大変、有名になられましたが、あんなに情の深い先生はおりませんでした」無垢な少年の心は、恐ろしいものである。一人の人間の映像を、いつか自然に、的確につかんでしまっていた。

 

・人を身なりで判断してはいけない

相手の対応が虚礼にすぎないとわかると、彼は、早く帰ることが正しいと直覚し、座を立った。彼が帰りかけた時、その家の妻女は、机の上にあった菓子を白紙に包んで、彼に渡そうとして愛想笑いをした。彼は、この時、憤然と拒絶した。「私は、こんなものを頂きに来たのではありません」彼は、振り返りもせず、立ち去った。以後、二度と、その家の敷居をまたぐことはなかった。この時の屈辱を、彼は、生涯、忘れることができなかった。そして、思い出しては、妻の幾枝に繰り返し訓戒するのであった。「人を身なりで判断しては、決してならない。その人が、将来どうなるか、どんな使命をもった人か、身なりなんかで、絶対に判断がつくはずがない。わが家では、身なりで人を判断することだけは、してはいけない」自ら味わった屈辱の思い出に照らして、彼は、他人には、同じ思いをさせたくなかったのであろう。

 

師弟不二

彼は牧口に対して「弟子の道」を貫いた。この宿縁の深さを、仏法では「師弟不二」として説いている。

 

▪️車軸

・日本国再建

「日本国再建の根底に、私は三世の生命観を説き明かした仏法の真髄を置かねばならないと、強く主張してやみません。それは、正法により、因果の理法の厳然たる実在を知ることができるからであります。この原理によらずして、もはや日本民族の興隆も、未来の平和への方途も、決まらないのであります。仏法哲学の基礎にあるのは、生命の因果律であります。釈尊は、これを悟って仏となったのです。したがって、われら仏法を信ずる者は、この生命の因果律を信じなければならないのであります。しかし、釈尊法華経以外の経典において説いた因果律は、大聖人が『常の因果の定れる法なり』(御書九六〇ページ)と仰せのように、いわば人間道徳の基本とうすべき、当たり前の因果の教えであり、仏法の極理から見れば、まだまだ低い因果律です。この因果の法理すら信じられない人びとが、なんで久遠の生命を信ずることができましょうか。また、地涌の菩薩の自覚が、どうして生れてまいりましょうか」

 

日蓮大聖人の仏法

「われわれ末法の凡夫にとっては、釈尊が説いた近因近果(ごんいんごんか)の理法を叩き破って、久遠の仏神を開覚する法が必要となってくるわけであります。この必要に応えて、実際生活において、過去世からの因果を叩き破って、久遠の命に立ち返り、よき運命へ転換することのできる法を確立されたのが、日蓮大聖人であります。すなわち、大聖人様が、『日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ』(御書一一二四ページ)と仰せになって、お認めの御本尊に帰依し、南無妙法蓮華経と唱えることによって、大聖人様と新人の血脈が相通じていくのであります。そこにおいて、過去世の因果が、皆、消え去って、久遠の凡夫が出現するのです。すなわち、自身の生命に、久遠の仏を覚知することができて、よりよき運命への転換できるのであります」(中略)「久遠の仏というと、えらく難しい言葉に聞こえますが、久遠というのは、”もとのまま、何も立派でない、ありのまま”ということです。仏とは、命でありますから、自身の命を、”ありのままの命”と悟る時に、途中の因果が、一切、消え去って、因果倶時の仏が胸中に涌現してくるのです。釈尊の仏法であれば、過去世の正法誹謗という最も思い宿業は、来世まで永劫の時間を費やして、少しずつ消していく以外にないのでありあますが、御本尊を拝して、胸中に久遠の仏を涌現していく凡夫は、すべての宿業を、一生のうちに軽く受けて、生命を浄化し、人生を輝かしていくことができるのです。したがって、いかなる難がありましょうとも、この難は、久遠の仏を開覚するための修行であると心得て、決して信仰の道に迷ってはなりません。一切が御本尊様の仰せと、喜び勇んで難に赴かなくてはなりませんぞ」(中略)信仰とは、俗にいう諦観ではない。修養や気休めのものでもない。空漠としたものへの求道心でもなく、ましてや現実からの逃避の道でもない。正しい教えを根本とした、正しい実践による信心によってのみ、宿命を打開することができるーそう戸田は説いていった。

 

創価学会の使命

仏に貧乏があってなるものですか。仏が、三世の仏菩薩、諸天善神に守られなくて、なんとしましょう。現世は、必ず安穏であることが疑いないのであります。されば、仏の使いの集まりが学会人である、と悟らなくてはなりません。迷える人びとを、仏の御もと、すなわち御本尊の御もとに、案内する者の集まりであることを知らなくてはなりません。このためには、決して、信仰や折伏を、自分の金儲けや、都合のために利用してはならないのであります。仏罰の恐ろしさを知るならば、そんなことは決してできないのであって、世にいう悪事などより、はるかに悪いのであります」

 

・信心の裏付けには教学が必要

日蓮大聖人の仏法には確固たる理論体系があり、信心の裏付けには教学が絶対に必要であって、理論は、また信心を深めていく、という道理を力説していた。

 

・仏法と世相

平安時代は、約三百五十年間にわたって、死刑が行われなかったことで世界的に有名だが、わが国の歴史のなかで、大変に平和な、しかも文化的にも繁栄した時代が現出したんです。これは、過去における法華経が流布した時代の繁栄という、類例の一つと言っていいと思う。当時の社会は、貴族社会であり、さらに法も像法の迹門の時代であったから、天皇はじめ、社会の指導階層だけを指導することによって、個人も自由で幸福になり、全社会にも繁栄の指針をもたらしていくことができたんです」(中略)だから、迹門の広宣流布の純然たる期間は、ほんの三十年そこそこであったが、その余光で、なお数百年の比較的平和な時代が続いたと考えられる。そのもとはいえば、伝教大師が六宗の碩学と公場対決して、法論に勝ったとことにある。結局ルールが、ちゃんと守られた時代であったわけだ。大聖人様も、公場対決を何度も幕府に迫った。『立正安国論』を、時の最高権力者であった北条時頼に提出したのも、”もし、この安国論が嘘だと思うなら、他宗の僧と公場対決させてみろ。はっきり正邪がわかるから”という熱烈な気迫で迫っているんです。(中略)大聖人様が、法論を挑まれなかったらば、伊豆の流罪佐渡流罪といった、あのような御災難はなかったといってよい。結局、大聖人様の御一生は、常に公場対決を迫られたという御一生であったわけだ。しかも、その機会は、遂に一回もなく終わったのです。人間というものが、どんなに卑怯になり下がったかが、わかるだろう。それでも、まだ鎌倉時代は、法論のルールというものの厳しさを知っていたから、他宗の僧たちも逃げ回っていたといえる。そして、裏で陰険な奸策を凝らしていたのだろう。ところが、現代の宗教界は、法論のルールもへちまも全くない。めちゃくちゃだ。いや、金儲けが大切で、だいだい信仰それ自体がない。人間もずいぶん性質が悪くなってしまったものだ。

 

▪️注解

・因果の理法

因は果を生起させる原因、果は因によって生起する結果。仏法では全ての現象は因果律に貫かれていると捉え、因果関係のない偶然の現象というものは認めない。人間の幸・不幸も因果律のもとにあり、現在の幸・不幸は過去の善悪の行為に因があり、未来の幸・不幸の果は、現在の善悪の行為に因をつくるかによると説く。日蓮大聖人は法華経の授持を最高の善とされている。