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kaidaten's blog~書評ノート~

日経新聞の要約や書評を中心にエントリーしてましたが、最近はざっくばらんにやってます。

1973年のピンボール(村上春樹)

書評

僕はいつものように内容のない本を読んでいた。主人公は翻訳の仕事で生活費を稼ぎ、双子の姉妹と生活をともにする。そしてピンボールにはまる。

 

鼠と呼ばれる青年は毎日のようにジェイズ・バーに通い、バーテンと交流を深めつつ、年上の女と出会い、女を抱く。

 

村上小説の登場人物は、いとも簡単に女を抱く。性的な出来事と出会う。現実世界では、ピンボールをしているだけで女子高生が胸を腕に押しつけてくることはないし、双子の姉妹と共同生活を送ることはない。

 

「男は姉妹と関係を持っていたのだろうか?」そんなどうでもいい無益な疑念を抱きながら、僕は現実の世界に戻っていく。

 

村上春樹は、自分で散りばめた伏線をほとんど回収しようとしない。だから話の全体像は掴めないし、わけがわからない。それでもなんとなく読み進めてしまう。おもしろい小説とはそういうものなのか。

 

 

 

内容抜粋

考えるに付け加えことは何もない、というのが我々の如きランクにおける翻訳の優れた点である。左手に硬貨を持つ、パタン右手にそれを重ねる、左手をどける、右手に硬貨が残る、それだけのことだ。十時に事務所に入り、四時に事務所を出る。土曜日には三人で近くのディスコティックに行き、J&Bを飲みながらサンタナのコピー・バンドで踊った。収入は悪くなかった。会社の収入の中から事務所の家賃と僅かな必要経費、女の子の給与、アルバイトの給与、それに税金分を抜き、残りを十等分して一つを会社の貯金とし、五つを彼が取り、四つを僕が取った。原始的なやり方だったが机の上に現金を並べて等分していくのは実に楽しい作業だった。「シンシナティー・キッド」のスティーヴ・マクイーンとエドワード・G・ロビンソンのポーカー・ゲームのシーンを想い起こさせた。

 

双子は僕を待っていた。僕はスーパー・マーケットの茶色い紙袋をどちらか一方に手渡し、火のついた煙草をくわえたままシャワーに入った。そして石鹸もつけずにシャワーに打たれながら、ぼんやりとタイル張りの壁を眺めた。電灯が切れたままの暗い浴室の壁を何かが彷徨い、そして消えた。僕にはもう触れることも呼び戻すこともできぬ影だった。

 

世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。あたしにも理解できない、あんたにも理解できない。でもそれは確かに存在しているんだ。取り囲まれてるって言ったっていいかもしれないね。

 

あたしは四十五年かけてひとつのことしかわからなかったよ。こういうことさ。人はどんなことからでも努力さえすれば何かを学べるってね。どんなに月並みで平凡なことからでも必ず何かを学べる。どんな髭剃りにも哲学はあるってね、どこかで読んだよ。実際、そうしなければ誰も生き残ってなんかいけないのさ。

 

僕とピンボール・マシンの短い蜜月はそのように始まった。大学には殆ど顔も出さず、アルバイトの給料の大半をピンボールに注ぎ込んだ。ハギング、バス、トラップ、ストップ・ショット……、大半のテクニックを習熟した。そして僕がプレイする背後ではいつも誰かが見物するようになった。赤い口紅を塗った女子高校生が僕の腕に柔らかい乳房を押しつけたりもした。